周の厲王への芮伯の諫言(再録)

101-14032P94U1444

(初出:2004年8月16日)

せっかく中国のはしっこ、香港にいるので、いままで通しで勉強したことの無かった中国史を勉強しようと思い、陳舜臣先生の「中国の歴史」を読み始めました。

やっと一巻読み終えてみて思ったのは...いやぁ...長い...濃い。500ページ以上読み進めて、年代的にはまだ日本では聖徳太子の時代にもいっていません。ちなみに紀元前18世紀の殷の時代から、いまやっと呉越の興亡、春秋時代が終わって戦国時代が始まりそうな紀元前5世紀です。

ただのんべんだらりと読んでいてもいいのですが、そんな学生に許された贅沢をすでに30代のおじさんには許されず、せっかくなので、気に入った箇所を書き出すことにしました。

その第1回。

太公望などの力を借りて殷を倒し、中原に王朝を築きあげた周にも衰えが見え始めた紀元前9世紀。周の厲王は民衆を搾取することに長けた栄公夷(栄の公爵、夷)を登用し、王朝を立て直そうとします。それを諌める周王朝の重臣、芮伯良夫の諫言の末尾が次にあげる一文です。

「匹夫、利を専らにするを、猶おこれを盗と謂う。王にして之を行わば、その帰するもの(心服して帰順するもの)すくなからん。栄公、若し用いられなば、周、必ず敗れん。」

古来、権力をかさにきて、利を搾取するものには人心は集まらないということですね。今の世の中でも、会社の業績はさっぱりあがらないのに、給料だけはグローバル・スタンダードとかいってがっぽりもっていくエグゼキュティブがいますが。

結局芮伯の心配したとおり、紀元前841年、民衆は蜂起し厲王を王宮に囲み、厲王は亡命しなければならなくなりました。これに代わって政治をみたのが共伯和(共の伯爵、和)。後世、王を置かない政治制度を共和制というのはこれが語源だそうです。

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