またゴルフに行って、こんなことが頭をよぎった。こんなこととは、なんで自分はわざわざヘタッピなことを好んでやっているのかということだ。仕事関係のお付き合いなどではなく、親しい友人からのお誘いなので、断ろうと思えば断れるのに、だ。
スコア?
72...
前半だけで...
後半も72で、ゾロ目だったよ...
元来のへそまがりで横着者のせいか、どうも自分には得意なことを楽しむということがない。
ラグビーはそれこそ20のときから、四半世紀やっていたが、30代に香港で明け暮れていたころが、それなりに自分のプレーヤーとしてのピークだったと思う。もっともチーム・スポーツということ、そしてラグビーというゲームの特性もあって、いいプレーができるということは、いいチームで優れたチームメイトとプレーをしていることが大前提なので、単純に「オレ、すごい!」とはならないことは理解している。
しかし、このいまから思えば「全盛期」にあっても、自分はどうも素直に楽しんでなかった。試合翌日と翌々日までつづく筋肉痛はツラかったし、スクラムでできた肩のアザを鏡でみては「ヤレヤレ...」とため息をついていた。家人に「あなたも好きね...」と言われても、「別に...なんにもしないよりはマシなだけ。」と嘯いていた。
スポーツでいえば、高校時代のレスリングが一番目に見える形で「得意」だったかもしれない。いちおう高校2年のとき、神奈川大会で優勝し、県代表としてインハイまでいっている。しかし大学生と一緒の練習はキツかったし、体育会は自分にとってけっして居心地のいい場所ではなかった。先輩後輩の上下関係の、自分と「上」との関係も、自分と「下」との関係も、せせこましくて、ばかばかしくて、やってられなかった。
高校2年と3年の時、部員不在で廃部になっていた相撲部を、OBだった祖父から言われて一人部員で再興し、神奈川大会に出たのは楽しかったが、強くはなかった。どちらかといえば現役一人だけのところ、部長先生とOBの方々という、なんだか「タニマチ・サポーター」みたいな方々が人口過多の状態で、そうした「オトナ」な先輩たちに注目され、チヤホヤされていたのが楽しかったのだろうと思う。今から思えば、高校生にあるまじき賤しい性根だったと、赤面する。
香港時代は一時期プロのコーチにお願いしてテニスをやっていたこともある。正直に上達したいと思っていたのだが、結果は芳しくなかった。
なぜか息子を励ますことより、ライバル意識を持つことに偏向していた父は、私を称して「スポーツのネアンデルタール人」と揶揄していた。道具を使うスポーツにさえないというのがオチ。くやしいが、そのとおりなのでしかたない。
ピアノ、ギター、ウクレレと楽器にもいろいろ手を出したが、どれもとても人に聞かせるような代物ではない。
5年前、前歯1本を献上して、ラグビーをあきらめてから、バイクにのったり、山登りに興じたりしているが、バイクはいまでもおっかなびっくり。山は登山口から一歩踏み出した瞬間から、「いつ引き返そうか」と言い訳を探している。実際に丹沢の塔ノ岳を目指して、通称「バカ尾根」と呼ばれる大倉尾根の急登を大汗かきながらヒーコラ登っていたとき、後ろから「〇〇ちゃんとやりて〜!」とAV女優の名前を叫びながら駆け足で私を抜き去った地元高校登山部のトレラン少年の走り去る後ろ姿をみて、心が萎えて踵をかえしたことがある。
3年前から始めたセーリング 。ヨットレースに参加させてもらい、小型船舶の免許も取った。でもどうもこれも下手の横好きの範囲を超えないのではないかと思い始めている。
しかし新たにセーリング を始めたことで、この「下手の横好き」の基幹部分となっている、自分の「性格」というよりは「性根」の正体がわかってきた。それは自分が、いままで知らなかったことを学び、できなかったことができるようになることが好きだということだ。そして残念ながらこの「できるようになりたい」という気持ちにくらべて、「できることをより上手になりたい」という上達へのこころがけがおそろしく弱いんである。わかりやすくいえば「飽きっぽい」ということになるのだろうか。
もちろん飽きっぽくても、自らに随時目標を課し、周囲からポシティブな刺激を受けて、コツコツ続けていれば、それなりの上達は望める。自分にとっては「英語」と「法律」がこのパターンだった。英語が話せるようになればなるほど、世界が広がったし、イギリスで「法律」を学ぶことにより、いろいろと普通ではのぞけない世界に足を踏み入れ、奇想天外な経験をさせてもらえた。
なんだかんだラグビーが続いたのも、そこに友人の輪が広がったことが大きな要因だった。一方テニスが続かなかったのは、コーチ以外そこに新たな友人を得られなかったことが大きい。楽器はもともと異性にアピールすることを目的としていたので...つまりそういうことである。同時期にウクレレを手にしたセガレがみるみる上達するのに半分以上嫉妬しているのは、純粋に音楽を楽しむその姿が自分には眩しすぎるからかもしれない。バイクは最近仲間ができてきてから楽しくなってきたけれども、いつも単独行の山からは足が遠ざかっている。幸いヨットには楽しい仲間が(全員先輩だが)多いのが大きな後押しになっている。
残念ながらキホンとして享楽的な自分にとって、冒険的刺激と興奮を伴わない挑戦、ようするにアスリートのような「自分との戦い」的難行苦行は縁遠い。すでに折り返し地点をとおの昔に過ぎ去った身としては、今後どうやって効果的に自分で自分の目の前にニンジンをぶらさげていくのかが、「おもしろきこともなき世をおもしろく」過ごしていくのかのカギになっていくのだろうなと思いつつ、久しぶりにピアノであたらしい曲にでも挑戦しようかと思っている。「いつも同じ曲ばかり...」とご不満な方がいるので。