締まって行こう

英語の慣用句に「Gird your loins」というのがある。なにか大仕事の前に「気張って行こうぜ」ぐらいのかけ声だ。

「loin」とは股間のこと。「gird」とは「まるめる」とか「(ベルトなどで)締める」ことを指す。

この語源は西洋の人々がまだ下着を知らなかった時代にさかのぼるるらしい。パンツがなかった頃、人々はシャツ(もしくはその前身の衣服)の裾で股間を包んで下着がわりにしていた。そこでイザという時は、この股間を包む部分をしっかり縛って臨んだということだ。

この表現は日本語の「ふんどし締め直して...」と言い回しも意味も共通していて面白い。

こうした洋の東西を超越して共通する言葉として、最近気がついたものに「rake」という単語がある。

「rake」とはいろいろな意味を持つ言葉だが(「熊手」という意味もある)、「傾ける」という意味を持つ。船のマストを一方向に傾けることを「rake the mast」などという。また「放蕩児」のことをも指す。

日本でも常識にとらわれない、異形のなり・行動をすることを「傾く(かぶく)」と呼び習わし、これが「傾奇者」、そして「歌舞伎」につながっていく。

なお、シャツの裾をパンツがわりにするということが、男のバレエダンサーの股間の膨らみが必要以上に強調されることにつながっているという話を聞いたことがあるが、未確認。しっかりと固定して、ぴっちりとしたタイツを通して形や大きさなどがわからない程度にカバーするために、Tバッグの下着をつけているらしいが、カバーの部分の大きさは個人の好みなんだろう。

ついでにだが、シャツの裾をパンツの内側に入れると、スボンのベルトラインにシャツがきれいに入って、ラインが美しくなる。お試しあれ。

Cataloguing the Creation

17世紀ヨーロッパに始まった実証に基づく科学哲学のもとで一大流行した博物学。その泰斗、リンネを語り尽くすラジオ番組、1時間弱。さすがBBCのラジオ4らしい、聴衆ウケを全く考えていない、硬派な番組作りにしびれる。

もともとカソリック教会的な宗教権威が「知の世界」に理不尽を犯すことに反発して生まれた近世ヨーロッパの実証的科学。しかしその中興ともうべき時代(18世紀)の博物学者たちが「神の創造物の全てを知る」という宗教的な情熱に突き動かされていたことは、皮肉...というよりは、素直に興味深い「キリスト教文明」に生きる人々の心の作用だなと感じる。(まぁ経済的利益や名声というのも原動力になっただろうけど。)もっともそうして発展した博物学の終着点がダーウィンの「種の起源」であり、進化論であり、従来のキリスト教創造伝説の終焉だった。

番組中、参加者の生物学者が「今の学生たちは博物学・分類学なんて見向きもしないよ。」というのを受けて、司会のメルヴィン・ブラッグが「どうして?」と聞くと、「だって、遺伝子学の方が面白いから。」と答えたのには納得。

科学も進化している。

しかし「発見」の楽しみは人類共通のものなのだろう。近くの寺の庭に餌をとりに来る鳥の中に新入りを発見し、その種類を識別しようと図鑑を手に取る。「雑草という名の草はない」とは、昨今朝ドラで流行りの牧野富太郎の言葉らしいが、その精神的背景には「山川草木悉皆成仏」という宗教的伝統があったとしたら、洋の東西あんまり変わらないということか。

Review of 2022

Books

ひさしぶりに漫画で感動した
Been a while since I was so moved by Manga
I had to learn quickly…
Resuming the circumnavigation
たまには日本語の新作小説も読んでみた
Trying a new Japanese fiction
So readable, so relevant
Competent
村田沙耶香にハマる
Sayaka Murata…
...ハマる
Sayaka, again…
Ibn Battuta
William Dampier
Completing my first circumnavigation
構成がメチャクチャになる前に大団円で吉
Thank God, the series ended before it’s totally messed up
Cavalry version of O’Brian, I was promised.
California dreaming, old school
Continuing…

Films

As recommended by She-Who-Must-Be-Obeyed… a warning?
Wes…
Colin様、素敵にお歳をめされています
Colin Firth, aging gracefully
Leo様もだまされた?
DiCaprio being duped by Leonardo
Helen様、素敵にお歳をめされています
Helen Mirren, aging gracefully
♪Ever-lasting LOVE❤️
The franchise is strong, but the production is tired, methinks
Tom様、全然お歳をめしていません
Tom Cruise, not aging at all
貴一さん、達者だな〜
This Elvis is so pretty
Ralph so scary

Arts

Very GaGa Fashion Exhibition at Tokyo Met. Teien Art Museum
My alter-ego…

Theatre

Not a hit with Fam
質の高い睡眠を...
High quality high culture nap at Open Noh Theatre…
日はとっぷり暮れていた
… and it was already dark when I came to…
Alabama in London
The Magic Flute at Covent Garden
Enjoyed this thoroughly with Son

Music

ひろえさん、素敵でした
なんでだろう...突然興味もってしまった

Travel

ひたすらスキー@志賀高原
Skiing… that’s all
Mad Dash to 大蔵神社
Welcoming spring at 松田山ハーブガーデン
突然ニセコ!
Suddenly Niseko!
ショート(のはずだった)イギリス旅行
Off to what was supposed to be a short trip to London
COVID Quarantine Stop in Germany
Spring came to this corner of Germany, too.
Bye bye, Frankfurt. You were the best quarantine stopover I could have hoped for. (Not that I had hoped for one.)
突然ですが、鈴鹿
Suzuka
そして伊勢参り
Ise Shrine
Serious moments in Manila
♪Me and Mrs… Mrs. Jones~
鹿児島じゃっど!
Kagoshima!
...でごわす。
Looking the part
比叡山
Mt. Hiei
近江 伊崎寺
Isaki-ji Temple by Biwako Lake
京都でまったり
Tea for Two in Kyoto
山中湖ずぶ濡れバイクツアー
Drenched motorbike trip to Yamanakako Lake
仙台...修理中
Sendai, under repair
周先生!
Lu Xun in Sendai
「犯人は必ず犯行現場に…」
Back at the scene of crimes, aka my old high school
身延山
Minobuyama Temple
鹿児島ふたたび
Kagoshima, again
屋久島 縄文杉
Yakushima Island, Jomon Cedar
Sous la ciel de Londres coule la Thames~

Sports

Skiing… making the optimum use of my body weight and fat mass in physics: the laws of gravity and thermodynamics, respectively.
Torturing the course, my friends and myself… is my golf
Let us now praise famous men…
England v. Ireland at Twickenham
Summer returns to the marina
Torture… again
Hayama… where the emperor looks out to the sea from his summer house to find us having fun on his front garden
You race, I eat
It rains on this lonely hiker
Torturing my pelvis and the trousers’ crotch point
Richmond v. London Scottish in a very English rugby weather

Food and Beverage

お雑煮@江の島
New Year’s Broth at Enoshima
Dundee Cake, as per usual before a skiing trip
Too-much-of-good-things curry on rice at 志賀高原
Roast Beef by IOT at Chez M
Gift that I opened selfishly for myself
Apfelwein and some decent German foods in Frankfurt
Something other than Laphroaig
神は細部に宿る
Delectable Trio in Akasaka
Catching up with an old friend in Manila
“This is the cheapest wine on the list…” “Clearly, we are at a wrong sort of eatery here…”
So tasty a gift
You need these to make a proper cheese break
夏きにけらし...
Summer caught on a dish
鹿児島はうまかった!
Tasty Kagoshima
お台場BBQ
Grilling a pineapple in Odaiba
Home Party
家飲み、食べ過ぎ
Drinking at Home, Eating too much
君は蒲焼、ボクは白焼
Unagi eels, in two styles
Chez M, again
Home-made Bread at Chez M
Tea Party at Home
Fruity Gift
Trying my hand at pot roast beef
Nice cream
Scott’s at Richmond
Winter cooking is so much fun when you have a proper oven
Doing Christmas properly, albeit on budget in this inflationary time

クライド湾とグラスゴー(オーブリー/マチュリン異聞)

Wikipediaより

今年の夏は、信じられない「チョンボ」をしでかしてしまい、ガラになくちょっと落ち込みながら過ごしていました。

そんなわけで、まったく正しい、言い訳のできない自己嫌悪から、非生産的かつ見苦しい自己憐憫の下降スパイラルに陥らないよう、ヴォケーっとしながら本、しかも小説を読んでおりました。

読んでいたのは、こういう時に脳に適度な負荷をかけてくれるPatrick O’BrianのAubrey/Maturinシリーズ。

ナポレオン戦争時のイギリス海軍を舞台に、海では勇気溌剌だが、陸にのぼるとカラッきしなジャック・オーブリー船長と、その友人であり、あるときは軍医、またあるときはスパイ、そして本当に好きなのは博物学というスティーブン・マチュリン医師のコンビが、七つの海を縦横に駆け巡るシリーズもの、全20巻。

2003年公開の映画版(”Master and Commander – Far Side of the World”、邦題「マスター・アンド・コマンダー」)ではラッセル・クロウが主人公のジャック・オーブリー船長を演じていて、オーストラリア出身のピーター・ウィアー監督が詩情豊な映像作品に仕上げていました。

2018年6月にシリーズ第1作を読みはじめてから、今回やっと第13巻に突入。

このシリーズが脳に適度な負荷である理由は、当時、つまり帆船時代の特殊な船舶・航海用語のオンパレードで、それを説明するだけのシリーズ・コンパニオン・ブックまで出ているくらい。また「海洋小説のジェーン・オースティン」ともよばれるオブライアンさんの文章が、19世紀初頭の時代色豊かで、味わい深いということもあります。アイルランド人ハーフのマチュリンが、会話で「Not at all, at all…」と at allを繰り返すあたり、アイルランド人の話しぐせを反映していたりするのが一例なのですが、とにかくオブライアン爺さん、芸が細かい!(残念ながら2000年に亡くなられています。)

その他にも、突然の気づきとかがありまして...この第13作目では、冒頭にオーブリー船長指揮下のサプライズ号が、イングランド南岸からポルトガルのリスボンを目指すところ、敵国フランス船を発見し、アイリッシュ海を北上しながら数日間追っかけまくるというシーンが登場します。結局サプライズ号は軽快なフランス船に追いつけないのですが、フランス船がスコットランド西岸のクライド湾(Firth of Clyde)に逃げ込んだところで、オーブリー船長が「あそこに入ったら、当分は出てこれんだろうさ...」と言い捨てます。

そこで「?」なのですが、クライド湾と言ったら、スコットランド第二の都市、グラスゴーの外港。貿易港としても有名ですし、イギリス海軍の潜水艦基地もあります。また余談ですが、私最近お気に入りのウィスキー、「アラン(Arran)」はクライド湾に浮かぶアラン島の産。なぜ、そこから「当分は出てこれない...」のでしょうか。

そこでちょっと調べてみてわかったのは、グラスゴーは産業革命のおかげで巨大都市に成長したわけですが、産業革命がなかったら巨大都市には成長していなかったということ。(あたりまえか...。)なんだかニワトリとタマゴみたいな話ですが、産業革命の象徴である、蒸気機関が発明されなければ、クライド湾一帯は繁栄しなかった。

オーブリー船長が「そう簡単には出てこれない」と言ったクライド湾は、西南に向けてひらけていて、帆船の時代、一年のほとんどを偏西風にさらされているこの一帯は、向かい風をなんとかしないと外洋に出れない、港としては不便この上ない地域だったわけです。船がエンジンによってスクリューで走り始めるまでは、船乗りからは忌避されていた地域だったわけですね。

なるほどな〜...朝ドラ「マッサン」の竹鶴政孝さんが、蒸留を学びつつ恋女房のリタさんと出会っていた先進都市グラスゴーになる前、19世紀初頭のスコットランド西岸はそんな理由で鄙びていたわけですな。

均衡と秩序

この戦争以前、ウクライナと中国は蜜月の仲にあった。中国はウクライナの農産物を輸入し、ウクライナは中国の工場のよきお得意様だった。またウクライナは中国の一帯一路の戦略的パートナーだった。

もちろんウクライナには、経済的な恩恵のほかに、中国のよき友であることにより、ロシアの脅威を牽制できるという考えがあったのだろう。

しかしその思惑は今回のロシアの侵攻により無惨に打ち砕かれた。

20世紀の二つの大戦を経て、世界は「ルール・ベース」、つまり規範的国際法に基づく秩序をその根底にすえた世界平和を目指している。そこに大国・強国の力の論理による「均衡による平和」の世界に導こうとする新興中国にとって、ロシアは格好の露払い、ウクライナは生贄だったわけだ。

みずからの過ちに気がついたウクライナは日本の国会で代議士たちに直接メッセージを送りたがっているとのこと。世界メディア向けのサウンドバイトだけではなく、世界歴史の大きな流れを感じている人々はどれだけいるのだろう。

所感:NHK 英雄たちの選択 福沢諭吉 日本近代化の夢

なぜかNHKが明治14年政変ネタをリピートしている。

去年の「英雄たちの選択」では、伊藤ー大隈の人間関係から話を起こしていたが、今回は福沢先生の視点。そして「選択」は政変を受けて福沢は政治家へ転身するべきだったのか、それともそれまで通りの在野の言論人としての活動に専念するべきだったのかということ。もちろん福沢は後者の選択をした。

確かに政変当時、四十路半ばの壮年期だった福沢にとって、決断の時だったともみえる。もっとも、彼のライフワークであるところの慶應義塾の経営がまだ安定していなかった当時、義塾の支援者たちの一部に忌避されるような自由民権運動に身を投じる選択は現実的ではなかっただろう。

また別の次元で、福沢の性格は全く政治家向きではなかったと思う。いろいろ言い方はあると思うが、私が一番に思うのは、福沢がものごとを「腹にためる」ことができない人だったことが大きいんではないか。

文久3年(1863年)、7月、幕府から西洋医学所頭取として江戸に招聘されていた恩師、緒方洪庵が急逝した。幕府の翻訳方として江戸にいた福沢も洪庵の役宅にかけつけて、近在の門人、適塾出身者など30〜50人などと共に通夜を過ごすことになる。夏の暑い時分に大勢が集まり、ごったがえしていたところで、福沢は適塾の先輩、村田蔵六、のちの大村益次郎がいるのをみて、さっそくに話しかける。そのときのやりとりが、「福翁自伝」に活写されていて、いやどうにもこうにも、同門の気安さがあったとしても、福沢先生の無邪気というか、天真爛漫さが、当時緊迫した立場に置かれていた村田蔵六を相手に見事に空回りしていて、笑ってしまう。

「オイ村田君――君は何時いつ長州から帰かえって来たか。

「この間帰かえった。

「ドウダエ馬関では大変な事を遣ったじゃないか。何をするのか気狂きぐるい共が、呆返った話じゃないかと云うと、村田が眼に角を立て、

「何だと、遣たら如何だ。

「如何だッて、この世の中に攘夷なんて丸で気狂いの沙汰じゃないか。

「気狂いとは何だ、怪しからん事を云うな。長州ではチャント国是が極まってある。あんな奴原に我儘をされて堪るものか。殊に和蘭の奴が何だ、小さい癖に横風な面して居る。之を打攘うのは当然だ。モウ防長の士民は悉く死尽しても許しはせぬ、何処までも遣るのだ

と云うその剣幕は以前の村田ではない。実に思掛けもない事で、是れは変なことだ、妙なことだと思うたから、私は宜加減に話を結んで、夫れから箕作の処に来て、

「大変だ大変だ、村田の剣幕は是れ是れの話だ、実に驚いた、

と云うのはその前から村田が長州に行たと云うことを聞て、朋友は皆心配して、あの攘夷の真盛りに村田がその中に呼込まれては身が危い、どうか径我のないようにしたいものだと、寄ると触ると噂をして居る其処に、本人の村田の話を聞て見れば今の次第、実に訳けが分らぬ。一体村田は長州に行て如何にも怖いと云うことを知て、そうして攘夷の仮面を冠て態とりきんで居るのだろうか、本心からあんな馬鹿を云う気遣はあるまい、どうも彼の気が知れない。

「そうだ、実に分らない事だ。兎にも角にも一切彼の男の相手になるな。下手な事を云うとどんな間違いになるか知れぬから、暫く別ものにして置くが宜いと、箕作と私と二人云合して、夫れから外の朋友にも、村田は変だ、滅多な事を云うな、何をするか知れないからと気を付けた。是れがその時の実事談で、今でも不審が晴れぬ。当時村田は自身防禦の為めに攘夷の仮面を冠て居たのか、又は長州に行て、どうせ毒を舐めれば皿までと云うような訳けで、本当に攘夷主義になったのか分りませぬが、何しろ私を始め箕作秋坪その外の者は、一時彼に驚かされてその儘ソーッと棄置たことがあります。

もちろん、中津藩から幕府出向中の身分であり、また当時の攘夷テロの標的となっていた蘭学者グループの一員として、自衛の注意をしたということもあるのだろうが、その振る舞いがあまりに風通し良すぎて、大腹蔵という「政治家」というタイプの人間ではない。

このシーンは、先日亡くなられた、みなもと太郎さんの一大叙事漫画「風雲児たち」にも描かれていて、こちらも大いに笑わさせてもらった。薩長による攘夷決行(下関戦争、薩英戦争)に前後した、当時の本人たちの真剣な状況を思えば、まったく不謹慎なことだけれども。

葉山で「ちぇんばぁみゅぅじっく(室内楽)」

最高にラッキーな小学生の男の子と女の子たち二児の母親であり、良妻賢母に日本一相応しい男、Rossy Hの妻君、Chieどのがアレンジを担当したという、逗葉近辺在住のミュージシャンによる室内楽コンサートにおじゃましてきました。

A.スカルラッティからエンニオ・モリコーネまで、300年の音楽の幅をエイヤっとまとめてコンサートに仕立て上げる大技。オリジナルよりアレンジがお好きというChieどの。前半こそはバッハにヘンデルと王道できたものの、「室内楽」が西洋音楽の主流になっていったモーツァルト以降(シューベルトとか、あそこらへん)の曲をズバッと飛ばして、後半は「あの曲、ピアノの連弾曲だったんだ...」というフォーレの「スペイン風...」。マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の有名な間奏曲は、そのドラマ性はそのままに、「室内楽」している。初めて見る名のアザラシヴィリさんは、やっぱり同郷、同世代のハチャトゥリアンの「スパルタカス」を連想。「マイ・フェア・レイディー」のメドレーでは、メロディーをソロで奏でるヴィオラ奏者の隠せぬ得意満面の笑みが可愛かった。カソリック教会推薦映画「ミッション」の挿入曲「ガブリエルのオーボエ」もテーマをヴィオラがリードしていて、Chieどの中音域の楽器が好きなんだな〜、と。アンコールはサラ・ヴォーン/ジョー・パスなみの「枯葉」をピアノと弦楽で。

それにしても、長いコロナ禍がひと段落してこういう楽しみも復活してきたのが、素直に嬉しい。

会場となった東伏見宮葉山別邸。海軍軍人だった宮様の、和洋折衷な素敵な家屋をイエズス会の修道女シスターが幼稚園経営をしながら懸命の保存活動継続中。W先生...同じイエズス会つながりで助けてあげてください!

追記:ソプラノさん、バロック時代のカストラート曲から、宗教曲、オペラそして最後はミュージカルからサラ・ブライトマンまでと、鬼の器用無双っぷり。

伊藤博文、大隈重信、明治14年の政変

英雄たちの選択 「伊藤vs.大隈 “日本”を決めた政変の真相」

伊藤博文は日本で最初の職業政治家だったのかな。

明治の王政復古は、あたりまえだけど律令制度の復活ではありえなかった。600年にわたる武家政治の中で培われてきた常識(コモンセンス)と、御成敗式目以来の法の下における正義、いわば「正しいご政道」の価値観に代わるものとして、新たに発足した明治政権の正当性は、天皇の神聖性と「尊王攘夷」なんていう賞味期限が切れ始めた政治スローガンしか依拠するものが無かった。そこにあらたな憲法を制定し、議会政治を発足させるということは、並大抵の偉業ではない。

「議会政治の母」なんて自負するイギリス議会だって、議会がまともに運営され、政党政治がまがりなりにも機能するようになるまでは、血塗られた歴史の連続だった。17世紀の王党派と議会派の内戦では成人男子の10%が死亡、王は処刑され、共和政の下でアイルランドに攻め込み、彼の地の人口を半減させ、にっちもさっちもも行かなくなって王様を呼び戻したものの、宗教上の理由からその後継者をまた追い出し、まずはオランダから、次はドイツから王様借りてきて、気がついたら世界帝国を運営していて、いやおうもなく世界の果てまで戦争に駆り出され産業革命の下に犠牲をしいられる市民たちの度重なる暴動に「こりゃ選挙制度を改革しなきゃダメでしょ」となって、段階的に有権者層を広げ始め、男女平等の普通選挙が成立したのは20世紀の初頭だ。

今の人は民主主義と、それに基づくrepresentative democracyが当たり前だと思っているから、それがいかなる代償をもって樹立されたかを忘れている。ましてや1776年以前の歴史におうおうにして無関心なアメリカ人が、キューバ、ベトナム、イラク、そして今度はアフガニスタンと、勘違いを続けるのもむべなるかな。

この番組の解説者は、太平洋戦争敗北の原因までを、明治14年の政変に結びつけるけれど、もともと完璧な政治制度なんてないんだから、日本の民主主義もまだまだこれからなんだと思う。

それにしても、これだけの仕事を成し遂げた伊藤という人物が、本来なら性犯罪者として罰せられるべき人物であったことを思うと、モンスターを必要とする政治というのはヤクザな稼業だな。

下手の横好き

またゴルフに行って、こんなことが頭をよぎった。こんなこととは、なんで自分はわざわざヘタッピなことを好んでやっているのかということだ。仕事関係のお付き合いなどではなく、親しい友人からのお誘いなので、断ろうと思えば断れるのに、だ。

スコア?
72...
前半だけで...
後半も72で、ゾロ目だったよ...

元来のへそまがりで横着者のせいか、どうも自分には得意なことを楽しむということがない。

ラグビーはそれこそ20のときから、四半世紀やっていたが、30代に香港で明け暮れていたころが、それなりに自分のプレーヤーとしてのピークだったと思う。もっともチーム・スポーツということ、そしてラグビーというゲームの特性もあって、いいプレーができるということは、いいチームで優れたチームメイトとプレーをしていることが大前提なので、単純に「オレ、すごい!」とはならないことは理解している。

しかし、このいまから思えば「全盛期」にあっても、自分はどうも素直に楽しんでなかった。試合翌日と翌々日までつづく筋肉痛はツラかったし、スクラムでできた肩のアザを鏡でみては「ヤレヤレ...」とため息をついていた。家人に「あなたも好きね...」と言われても、「別に...なんにもしないよりはマシなだけ。」と嘯いていた。

スポーツでいえば、高校時代のレスリングが一番目に見える形で「得意」だったかもしれない。いちおう高校2年のとき、神奈川大会で優勝し、県代表としてインハイまでいっている。しかし大学生と一緒の練習はキツかったし、体育会は自分にとってけっして居心地のいい場所ではなかった。先輩後輩の上下関係の、自分と「上」との関係も、自分と「下」との関係も、せせこましくて、ばかばかしくて、やってられなかった。

高校2年と3年の時、部員不在で廃部になっていた相撲部を、OBだった祖父から言われて一人部員で再興し、神奈川大会に出たのは楽しかったが、強くはなかった。どちらかといえば現役一人だけのところ、部長先生とOBの方々という、なんだか「タニマチ・サポーター」みたいな方々が人口過多の状態で、そうした「オトナ」な先輩たちに注目され、チヤホヤされていたのが楽しかったのだろうと思う。今から思えば、高校生にあるまじき賤しい性根だったと、赤面する。

香港時代は一時期プロのコーチにお願いしてテニスをやっていたこともある。正直に上達したいと思っていたのだが、結果は芳しくなかった。

なぜか息子を励ますことより、ライバル意識を持つことに偏向していた父は、私を称して「スポーツのネアンデルタール人」と揶揄していた。道具を使うスポーツにさえないというのがオチ。くやしいが、そのとおりなのでしかたない。

ピアノ、ギター、ウクレレと楽器にもいろいろ手を出したが、どれもとても人に聞かせるような代物ではない。

5年前、前歯1本を献上して、ラグビーをあきらめてから、バイクにのったり、山登りに興じたりしているが、バイクはいまでもおっかなびっくり。山は登山口から一歩踏み出した瞬間から、「いつ引き返そうか」と言い訳を探している。実際に丹沢の塔ノ岳を目指して、通称「バカ尾根」と呼ばれる大倉尾根の急登を大汗かきながらヒーコラ登っていたとき、後ろから「〇〇ちゃんとやりて〜!」とAV女優の名前を叫びながら駆け足で私を抜き去った地元高校登山部のトレラン少年の走り去る後ろ姿をみて、心が萎えて踵をかえしたことがある。

3年前から始めたセーリング 。ヨットレースに参加させてもらい、小型船舶の免許も取った。でもどうもこれも下手の横好きの範囲を超えないのではないかと思い始めている。

しかし新たにセーリング を始めたことで、この「下手の横好き」の基幹部分となっている、自分の「性格」というよりは「性根」の正体がわかってきた。それは自分が、いままで知らなかったことを学び、できなかったことができるようになることが好きだということだ。そして残念ながらこの「できるようになりたい」という気持ちにくらべて、「できることをより上手になりたい」という上達へのこころがけがおそろしく弱いんである。わかりやすくいえば「飽きっぽい」ということになるのだろうか。

もちろん飽きっぽくても、自らに随時目標を課し、周囲からポシティブな刺激を受けて、コツコツ続けていれば、それなりの上達は望める。自分にとっては「英語」と「法律」がこのパターンだった。英語が話せるようになればなるほど、世界が広がったし、イギリスで「法律」を学ぶことにより、いろいろと普通ではのぞけない世界に足を踏み入れ、奇想天外な経験をさせてもらえた。

なんだかんだラグビーが続いたのも、そこに友人の輪が広がったことが大きな要因だった。一方テニスが続かなかったのは、コーチ以外そこに新たな友人を得られなかったことが大きい。楽器はもともと異性にアピールすることを目的としていたので...つまりそういうことである。同時期にウクレレを手にしたセガレがみるみる上達するのに半分以上嫉妬しているのは、純粋に音楽を楽しむその姿が自分には眩しすぎるからかもしれない。バイクは最近仲間ができてきてから楽しくなってきたけれども、いつも単独行の山からは足が遠ざかっている。幸いヨットには楽しい仲間が(全員先輩だが)多いのが大きな後押しになっている。

残念ながらキホンとして享楽的な自分にとって、冒険的刺激と興奮を伴わない挑戦、ようするにアスリートのような「自分との戦い」的難行苦行は縁遠い。すでに折り返し地点をとおの昔に過ぎ去った身としては、今後どうやって効果的に自分で自分の目の前にニンジンをぶらさげていくのかが、「おもしろきこともなき世をおもしろく」過ごしていくのかのカギになっていくのだろうなと思いつつ、久しぶりにピアノであたらしい曲にでも挑戦しようかと思っている。「いつも同じ曲ばかり...」とご不満な方がいるので。

老騎士

港区のちいばすに乗って、東京タワーを右手に見ながら、赤羽橋の交差点を渡る頃、優先席に座った、まだ生まれて間もないと見受けられる赤子を胸に抱いた母親のわきで、彼女のものと思われる乳母車をたたんだのを、しっかり握っているおじいさんがいた。

おそらく親戚筋なんだろうなと思っていたら、違った。

突然おじいさんが大きい声で(多分もう耳が遠いんだろう)母親に話しかけた。

「済生会病院にいかれるんですか?」

「いえ、港区の保健所に...」

「そうですかぁ〜!なつかしいですなぁ〜!わたしも昔、妻と一緒に母子手帳もらいに行きました!」

「はぁ〜...」

「あ、乳母車はご心配なく!わたしもここでおりますからっ!わたしがおろしますっ!」

「どうもすみません...」

バスがとまるのを待って...という車内アナウンスも無視したおじいさん。勢いよく立ったはいいが、バスのブレーキにすこしよろめいた。降車口の向かいに座っていた私は、おもわず手を伸ばした。

おじいさんは、なにもなかったかのように、少し「フンっ!」と鼻息をならし、わざとガニ股気味の足を踏み締めて、右手に掴んだ乳母車とともにバスをおり、母子がバスを降りるのもおそしと、せっせと手際よく、歩道上で乳母車を展開していた。

「どうもすみません...」

すっかり恐縮気味の若い母親に、自慢げに乳母車を渡すおじいさん。

微笑ましい情景を、私は車内から眺めていたのだが、そのとき、母子と同じく優先席に座っていた老女が手すりにつかまりながら、ようやく立ち上がり、弱々しい声で、

「あ、あなた...待って...」

爺さん!ヤンママにサービスする前に、自分の奥さん大事にしなきゃ!